9年ぶり県大会出場

【1997年8月27日・海老名球場 (秋季県大会北相地区予選・代表決定戦)】
チーム
有馬
厚木北

1988年の秋季県大会に出場以来部員が1学年で1桁の人数まで減少し,
選手のレベルも春秋の北相地区予選で3試合中1勝出来るかどうかの状態
まで実力が低下していた。
転機が訪れたのは1995年秋に当時校長だった神倉正先生の尽力によって
1996年度から厚木北に「スポーツ科学コース」の創設が決定した。
野球部も強化指定の対象となり,優秀な選手が集まるようになった。
この「スポーツ科学コース」の第1期生が最上級生になった1997年秋に
9年ぶりに秋季県大会出場のチャンスが訪れた。
第1戦の秦野曽屋戦は10−0の7回コールドで勝ち,第2戦の渕野辺戦も
9−0で連勝した。第3戦の相手は光明相模原だった。
当時監督だった野田淳司先生は光明と厚木北のレベルを比較して勝つ確率が
低いと判断。エース・宮良の3連投を回避し代表決定戦に全てを賭ける決断
を下した。
翌日私は野球部が所有していたビデオカメラをお借りして隣のブロックの
「有馬VS大和東」の撮影を行い偵察のお手伝いをした。
私自身も9年ぶりのチャンスに必死だったのだ。
翌日の光明相模原戦では代表決定戦進出を決めた有馬の監督が偵察に来て
いた。後に厚木北に赴任して野球部監督になられる定常健治先生だった。
これが私と定常先生の初顔合わせであった。
光明相模原戦は1−11の7回コールドで敗れた。

そしてよいよ代表決定戦。厚木北は初回二死から阿利が二塁打で出塁し,
宮良の右前安打で先取点を取った。相手投手の暴投で再び二死2塁となり
高橋の左前安打で1点追加した。
2回は一死から戸張が右前安打,山崎が四球,田中が内野安打で満塁となり
補逸で1点。阿利が四球で再び満塁となり宮良の三塁打で3点追加した。
3回は二死から山崎の三塁打と田中の内野安打で1点追加。
先発の宮良は4回二死から1点取られたが,厚木北は5回右前安打で出塁
した戸張が二盗と犠打で3塁へ進塁し,敵失で1点追加。
6回も一死2塁から山下の右前安打で1点追加した。
宮良は5回以降無失点に抑えて9年ぶりに県大会出場を決めた。

秋季県大会では1回戦で武相と対戦。0−9で完敗だった。
しかしこの年の秋季大会が復活の始まりであった。




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