初のシード権獲得

【2003年4月13日・横浜商グランド(春季県大会)】
チーム
厚木北
相模原総合

北相地区予選では2勝1敗の2位で代表決定戦へ進み,県相模原に10−4
で勝って辛うじて県大会出場を決めた。
代表決定戦から勝ち上がると1回戦からの登場で,2回戦は秋ベスト8の
チームと当る確率が非常に高いのだが,和田主将のくじ運がよく2回戦から
登場でしかも3回戦まで県立校と当る組合せだった。
雨天順延で翌週に延期になった2回戦の上郷戦は互角の試合展開だったが,
7回相手投手の暴投で決勝点を取り,4−3で勝った。

厚木北は3回二死から小沢が左前安打で出塁。二盗後、鈴木の二塁打で
先取点を取った。
4回は先頭打者の菊池が中前安打で出塁し、岩田の犠打と相手投手の暴投で
3塁まで進塁。山崎のスクイズ(記録は内野安打)で追加点を取った。
先発の小山は4回まで無安打に抑えていたが5回遊ゴロ失策と犠打で
二死2塁の場面から二塁打を打たれて1点取られた。
6回は一死3塁から左飛を打たれて犠飛で同点かと思われたが岩田の好返球
で3塁走者を本塁でアウトにした。
しかし7回に二死1塁から二塁打を打たれて同点にされた。
厚木北は6回から8回まで三者凡退に抑えられ試合の流れは完全に相手校の
ものだったが、9回一死から菊池が死球で出塁。岩田の犠打で2塁進塁の後
山崎の打球は遊ゴロだったが、相手の遊撃手が打球をセンター方向へ大きく
はじき2塁走者が本塁へ生還するという幸運に恵まれた。
その裏相手校の攻撃は先頭打者が初球を打って三ゴロの打球だったが
三塁手の鈴木が一塁へ悪送球を投げてしまい無死1塁。犠打で一死2塁。
次打者は中飛で二死2塁になった後、小山の初球が暴投になり二死3塁。
失策も許されない場面となった。しかし小山がこのピンチを三振で
切り抜け、ついに夏の神奈川大会初のシード権を獲得した。

試合終了の瞬間,私は思わず「ヤッター」と叫んでガッツポーズをして
しまった。思えば県大会でベスト16まで勝ち進むのは17年前の夏の大会
以来だった。当時監督だった江藤氏が去ってから野球部に選手が集まらなく
なり,急速に弱体化してしまった。春秋の公式戦は北相地区予選での敗退を
を繰り返し。選手が9人に満たず,出場すら出来ない大会もあった。
こうした17年間の苦難の時代を思い出すと私は涙が止まらなくなって
しまった。
5回戦の日大藤沢戦は1−5で敗れたが,初めてシード校として臨む夏は
周囲の期待がだんだんだん高まってゆくのであった。




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